僕らは何者でもないのさ

多すぎ大人の選択肢

「奇をてらう」が生業の人たち

 

このあいだあるドラマを見ていて、

そしたらそこにあるアーティストが出ていました。

 

それは去年ぐらいから徐々に認知度が増えてきて、いまや二階堂ふみに次ぐサブカルの権化のような女性だったのですが。話の終盤くらいにその女性はそのドラマの脇役的男性を路地に連れ込み、彼の手を取っては自分のブラトップの中にねじ込むのです。

ほう(全然胸がないな)、という感じに私はなりました。もちろん、代わりの脱ぎ役がいるわけではなく正真正銘その女性が揉みしだかせているのです。

 

その女性のライブを私は今年の春頃に東北地方で開かれたフェスで見ていました。元々パフォーマンスに定評のある方なので、私もいろいろと驚かされました。3メートルぐらいある脚立に登ったり、フェスのステージセットに登ったり。わんぱくな少女時代を想像させます。

そして、彼女お得意の透明なボールの中に入って観客の中にダイブする、というパフォーマンス。

 


Suchmos "MINT" (Official Music Video)

 

正直言うとその前までに彼女が見せたあれやこれやで、私はかなり食傷気味だったのです。

彼女の出て来る前が、夕暮れのなかで響き渡るSuchmosだったのですごく爽やかな気分でした。そこからの高低差もあったのでしょう。代わってみているのが、曲芸のような光景。ステージ前にいた私は自分の立ち位置と真逆に心がスーッと遠くに引いてしまい、そこにいる人々を観察することばかりが頭を占めてしまったのです。

 

必至にボールにしがみつこうとする人、遠くに押しやろうとする人、離れたところで転がるさまを楽しんでいる人、そんなところばかりが目に入るのです。

 

そんな風に観察眼になる前の私だって脚立に乗って登場してきたときは、なんとも言えないハラハラ感に心を掴まれていたのは事実。

事実なんだけど。彼女が見せるこのエンターテイメントの主軸はどこにあるのだろうと頭によぎる。なんだか、私たちの中に芽生える「ひょっとしたらヤバイことになるんじゃないか」、という心境が拠り所なんだという気持ちになりました。

 

言ってしまえば、ステージに立っている人は「芸のないサーカス」のようなものです。

「奇をてらう」、それは確かに有効な手段です。それを自身のアイコンに使ったり、それだけが価値となってしまっては、炎上芸人と変わりません。

ねえ、深夜ドラマに出ているあなた。いつも頭の切れそうなことを言っているけど、あなたの中には本当はどんな考えがあるの、戦略があるの。ねえ。

 

本田翼1st-Last写真本 ほんだらけ 本田本

本田翼1st-Last写真本 ほんだらけ 本田本

 

 脚が綺麗