「ONE PIECE」を読まない人間
私がそうだ。「ONE PIECE」を読まない人間。
その人々の地位は相当に低い。
ONE PIECE magazine Vol.1 (集英社ムック)
- 作者: 尾田栄一郎
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2017/07/07
- メディア: ムック
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「ONE PIECE」を読まないというのは、「BLEACH」を読まない人間とは違う。「NARUTO」を読まない人間とも違う。というか、「BLEACH」も「NARUTO」も読まなくたってなんとなくわかるのだ。それはどちらも後発で、学校帰りに目に触れる夕方のアニメ枠だったからだ。おそらく。
でも、「ONE PIECE」は違う。始まったのがもっと古いのだ。なんなら、いままさに20週年を迎えているという。アニメ枠も日曜朝だ。寝てたかどっか行ってたよ。
ついでにいうと、一人っ子の私は「ドラゴンボール」も読まない。
世の中にはかなりの数いるのだ、それらを読む20代の人間が。女友達にも多い、ざっと体感80%ぐらい。
それはジャニーズの曲知らないとかそういう話じゃない。カラオケに行って関ジャニの曲入れてる友達見て、「あ~私、関ジャニはあまり聞かないんだよね~」と心のなかで思っていても、別に苦しくはない。友達だってそんなに変な目で見てきたりしない。
そう、それは「野球のルールを知らないんだ~」という女子とも違う。「そうだよね、仕方ないよね。私が異端だから」と思うし。
でも、「ONE PIECE」はそうじゃない。あたかも、全日本人が通るべき道のように語られる。「なんで、読んでないの?」だいたい、そう聞かれるのだ。じゃあ、読むかってなったら、ドーンと85巻。
「ONE PIECE」を読んでいる人間というのは、「オタク」の括りではない。でも、中身の実情はおそらくオタクそのものだ。
本来、オタクというのは下手で生きていく人間だと思う。「あれ、知ってる?」で始まる関係性のはず。でも、それが「あれ、知ってるよね?」に変わるとそれは全く違う。「過酸化水素の化学式ってH2O2だって知ってるよね?」のそれじゃないんです。
「知らねえよ」
「え、でも勉強したじゃん」
「いや、勉強ダルいし忘れたし」
のそれとは違う。
「ONE PIECE読んでないんだ」
「え~なんで読んでないの」
「読むチャンスがなくて」
「信じられなーい。おもしろいのになんで」
返しようがないのです。私たちは「必然的な」「合理的な」選択をしなかった愚民なんですよ。それくらい私たちの中での「ジョーシキ」。
こないだ、大好きだった「ゆとりですがなにか」が帰ってきた。
相変わらず、自分より年上の30歳「ゆとり世代」や、清野菜名やぱるる、20歳前半の「さとり世代」を見ては自分を棚に上げて、甘ちゃんだなあと笑っていた。
でも最後にはちゃんと、「そうだけど!」と言って何か乗り越えちゃうんだよなあ。楽しすぎて何回も見ているうちにその「そうだけど!」という部分、「ゆとりですがなにか」の「ですがなにか」のところの勇気が大事なんだろうと思えてくる。
「ONE PIECE」を読んでいる正しき民は全20代の8割ほど(私の体感)。いまの20代は思っている以上に「友情・努力・勝利」の下地のもとに生きているのかもしれない。
「友情・努力・勝利」というのは友情から始まる三段論法であるのは想像に容易い。
でも、考えると「友情」と「努力・勝利」のあいだには、本当は「勇気」がある四段論法なんじゃないか。そう。私も含めて若者たちは何かを忘れているように、友情(というか繋がり)だけは厚いよなあ。
どうしてジャンプは「勇気」を言語化してくれなかったのだろう。当たり前過ぎたのかな。
でも私たち、言われなきゃ気づかないですよ。ゆとりですから
「ハロー張りネズミ」次も楽しみです