空中分解する I live you.

衛星都市、くりかえしの軌道から遊びに連れ出して

「ONE PIECE」を読まない人間

私がそうだ。「ONE PIECE」を読まない人間。

その人々の地位は相当に低い。 

ONE PIECE magazine Vol.1 (集英社ムック)

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ONE PIECE」を読まないというのは、BLEACH」を読まない人間とは違う。「NARUTO」を読まない人間とも違う。というか、「BLEACH」も「NARUTO」も読まなくたってなんとなくわかるのだ。それはどちらも後発で、学校帰りに目に触れる夕方のアニメ枠だったからだ。おそらく。

でも、「ONE PIECE」は違う。始まったのがもっと古いのだ。なんなら、いままさに20週年を迎えているという。アニメ枠も日曜朝だ。寝てたかどっか行ってたよ。

ついでにいうと、一人っ子の私は「ドラゴンボール」も読まない。

世の中にはかなりの数いるのだ、それらを読む20代の人間が。女友達にも多い、ざっと体感80%ぐらい。

 

それはジャニーズの曲知らないとかそういう話じゃない。カラオケに行って関ジャニの曲入れてる友達見て、「あ~私、関ジャニはあまり聞かないんだよね~」と心のなかで思っていても、別に苦しくはない。友達だってそんなに変な目で見てきたりしない。

そう、それは「野球のルールを知らないんだ~」という女子とも違う。「そうだよね、仕方ないよね。私が異端だから」と思うし。

 

 

でも、「ONE PIECE」はそうじゃない。あたかも、全日本人が通るべき道のように語られる。「なんで、読んでないの?」だいたい、そう聞かれるのだ。じゃあ、読むかってなったら、ドーンと85巻。

 

ONE PIECE」を読んでいる人間というのは、「オタク」の括りではない。でも、中身の実情はおそらくオタクそのものだ。

本来、オタクというのは下手で生きていく人間だと思う。「あれ、知ってる?」で始まる関係性のはず。でも、それが「あれ、知ってるよね?」に変わるとそれは全く違う。「過酸化水素の化学式ってH2O2だって知ってるよね?」のそれじゃないんです。

「知らねえよ」

「え、でも勉強したじゃん」

「いや、勉強ダルいし忘れたし」

のそれとは違う。

ONE PIECE読んでないんだ」

「え~なんで読んでないの」

「読むチャンスがなくて」

「信じられなーい。おもしろいのになんで」

返しようがないのです。私たちは「必然的な」「合理的な」選択をしなかった愚民なんですよ。それくらい私たちの中での「ジョーシキ」。

  

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こないだ、大好きだった「ゆとりですがなにか」が帰ってきた。

相変わらず、自分より年上の30歳「ゆとり世代」や、清野菜名ぱるる、20歳前半の「さとり世代」を見ては自分を棚に上げて、甘ちゃんだなあと笑っていた。

でも最後にはちゃんと、「そうだけど!」と言って何か乗り越えちゃうんだよなあ。楽しすぎて何回も見ているうちにその「そうだけど!」という部分、「ゆとりですがなにか」の「ですがなにか」のところの勇気が大事なんだろうと思えてくる。

 

ONE PIECE」を読んでいる正しき民は全20代の8割ほど(私の体感)。いまの20代は思っている以上に「友情・努力・勝利の下地のもとに生きているのかもしれない。

「友情・努力・勝利」というのは友情から始まる三段論法であるのは想像に容易い。

でも、考えると「友情」と「努力・勝利」のあいだには、本当は「勇気」がある四段論法なんじゃないか。そう。私も含めて若者たちは何かを忘れているように、友情(というか繋がり)だけは厚いよなあ。

どうしてジャンプは「勇気」を言語化してくれなかったのだろう。当たり前過ぎたのかな。

でも私たち、言われなきゃ気づかないですよ。ゆとりですから

 

バクマン。

バクマン。

 

 ハロー張りネズミ」次も楽しみです